ようやく向き合える時がきたのでここに残そうと思いました。
去年の暮れに亡くなった猫のテオのことを。
一昨年の10月に家族の猫のリッチが17歳で旅立ちしました。
命は永遠ではないこと、お葬式という見送る儀式の大切さ、
今でも強く心に残っています。
生きてきた中でも最も辛い出来事でした。
十年以上も一緒に過ごしたのに、
思い出すことは亡くなる直前の辛い思い出ばかりです。
こんなに辛いならもう動物を飼うのはやめよう。
今思うと相当なペットロスでした。
そんな時に出会ったのがテオでした。
友人からの情報で飼育放棄された猫を
引き取ってあげれないかとのことでした。
考えてる時間はありませんでした。
それから1週間も経たないうちにテオは家族になりました。
辛い過去を感じさせないぐらい、
人間が大好きで、初めて家に来た日には一緒の布団で眠りました。
ずっと前から一緒に暮らしていたいたかのようでした。
リッチを亡くした悲しみを癒してくれて、
幸せそうに眠る仕草、遊ぶすがたなど
愛しい記憶を思い出させてくれたのはテオでした。
リッチと同じように、私が絵を描いていると
必ず膝の上に乗って描いているところを何時間も見ていました。
テオがいなかったらまた絵に向き合うにも、
ずっと時間がかかっていたと思います。
当時結婚を考えていた彼もリッチと同じように
テオのことが大好きでした。
私たちは結婚を期に引越しを考えていました。
窓の外を眺めるのが大好きなテオのためにも
大きな窓がたくさんある家を見つけました。
そして入籍をした2日後、テオは旅立ってしまいました。
リッチの命日から2日が経ったときでした。
原因は心臓の病気でした。まだ6歳でした。
この先10年以上も一緒に過ごすことを当たり前のように考えていました。
いつか年老いたテオの介護することも考えていました。
健康診断では異常がなく、獣医師さんには
「こればかりは人と同じで突然やってくるから仕方がない」
と言われました。
どうしたら昨日に戻ることができるのか本気で考えていました。
どうしたら自分の命と替えてあげれるかも、一晩中考えていました。
今思うと夫がいなかったらまともな判断ができていなかったと思います。
テオを迎えた時に覚悟していたはずなのに、私には覚悟が足りませんでした。
こんなお別れがあることを考えていなかったのです。
お葬式の前日、亡くなった姿で一晩だけ新居で生活しました。
引越しのためにテオが使っていたものを既に片付けていたので、
もうテオの面影はどこにもありませんでした。
まるで夢だったかのようでした。
今日に至るまでずっと気持ちの整理がつきませんでした。
こうやって書きながらも、思い出すと胸が苦しくなります。
夫婦でこの悲しみをどう乗り越えていこうか何度も何度も話しあいました。
正直、動物と暮らすことがこわいです。
それでもまたテオのように出会いがあるなら
受け入れたいし、救える命があるなら手を差し伸べたい。
また猫と暮らすことがあるなら
どんな病気でも気づいてあげれるようになりたい、
精神的なリハビリも兼ねて
今年に入って週一回、保護猫施設へお手伝いをしています。
知らなかった猫の一面を知ることができて、
勉強になることもたくさんありました。
そっと寄り添ってくれるようなたくさんの猫たちに、
だんだんと心が解されています。
テオに対する悔しい気持ちも、悲しい気持ちも、
言葉にできない複雑な気持ちも、
全て愛からきていることをようやく理解しました。
リッチの時も悲しみの後に残っていたのは、愛でした。
人も動物も命に絶対や永遠はないけど、愛することは永遠にできる。
テオのためにも愛を絶やさず、夫婦で寄り添って歩んでいきます。
きっとまた絵を描くと泣いてしまうこともあると思います、
どんな感情も大切にしながら、描いて描いて形に残そうと思います。
この動画はテオが我が家に来てまもない頃に作ったものです。